人間が歩んできた道には、歴史があります
そしてまた、畳表を製織する職機にも歴史があります
今回は、歴史的にも貴重な職機を紹介したいと思います
こちらです!
これは、京間茶室用の表を製織する中継ぎ職機です
しかし、普通の職機とは訳が違います
広島県で備後表を製織しておられた(故)岡崎さんが、自分の手で改造に改造を重ねて実際に中継ぎ表をおられていた職機なのです
近くで拝見すると、機械の箇所箇所にオリジナルの部品を取り付け、また削りながら調整し、苦労して出来上がった様子を伺う事が出来ます
現在備後には、スーパー備後という中継ぎ表があります
それを織る機械(中村職機)の原型になったと言われています
したがって歴史的に大変貴重な職機なのです
さてさて、なぜこの織機がココにあるのでしょうか!
実は、岡崎さんが亡くなられ、この織機は広島県で眠りについていました
それを田淵さんが引き取られ、稼働するまでに修理をされました
来た時の状態は、油は切れて固まり全く動かない状態
一つ一つの部品に油を差しながら、腐食が進んでいる部品を取り替えながら、命を吹き込み製織できる状態になったそうです
その苦労は、ただならない事だったと聞きました
現在、その織機が熟成表職人の太田さんの倉庫にあります
そして実際に中継ぎ表を織っておられます
太田さんは、原料が『ひのみどり』のため、更に機械の調整を行われ、自分の思う中継ぎ表を目刺し、修繕しながら試行錯誤されたそうです
その証に調整段階のキズ畳表がそれを物語っています
太田さん曰く、『この職機は、芸術品だ』と、言っておられました
次回は、製織された幻の中継ぎ表を紹介したいと思います
本日のご訪問誠に有難うございます
思いを心で語るヒデピョ〜ンがお贈りするグローバルな世界
お帰りの際に下のタグを1つだけでも(出来れば全部)ポイポイット クリックして頂けると嬉しいなぁ^^;
そしてまた、畳表を製織する職機にも歴史があります
今回は、歴史的にも貴重な職機を紹介したいと思います
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これは、京間茶室用の表を製織する中継ぎ職機です
しかし、普通の職機とは訳が違います
広島県で備後表を製織しておられた(故)岡崎さんが、自分の手で改造に改造を重ねて実際に中継ぎ表をおられていた職機なのです
近くで拝見すると、機械の箇所箇所にオリジナルの部品を取り付け、また削りながら調整し、苦労して出来上がった様子を伺う事が出来ます
現在備後には、スーパー備後という中継ぎ表があります
それを織る機械(中村職機)の原型になったと言われています
したがって歴史的に大変貴重な職機なのです
さてさて、なぜこの織機がココにあるのでしょうか!
実は、岡崎さんが亡くなられ、この織機は広島県で眠りについていました
それを田淵さんが引き取られ、稼働するまでに修理をされました
来た時の状態は、油は切れて固まり全く動かない状態
一つ一つの部品に油を差しながら、腐食が進んでいる部品を取り替えながら、命を吹き込み製織できる状態になったそうです
その苦労は、ただならない事だったと聞きました
現在、その織機が熟成表職人の太田さんの倉庫にあります
そして実際に中継ぎ表を織っておられます
太田さんは、原料が『ひのみどり』のため、更に機械の調整を行われ、自分の思う中継ぎ表を目刺し、修繕しながら試行錯誤されたそうです
その証に調整段階のキズ畳表がそれを物語っています
太田さん曰く、『この職機は、芸術品だ』と、言っておられました
次回は、製織された幻の中継ぎ表を紹介したいと思います
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